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文庫1☆江戸噺 「流人舟」 ブログトップ
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♯49 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]


新兵衛  人という字はどう書くね……孝助どん。

孝助   ヘッ?

         指で書き示す、新兵衛  
         
新兵衛  一人と一人が支え合って生きているのが人間だ……今までは牢役人と流人
     ……光りと闇……裏と表だったが……これからは世間のシガラミなんか捨てて
     助け合って生きてゆこうじゃねえか、孝助どん!

孝助   旦那!

新兵衛  長え間……突っ走ってきたお前さんの傷ついた心と魂を癒す方法は只一つ
     しかあるめえよ……可愛い妹のおみよさんの長年の夢だったメシ屋を開いて
     やることサね……!

孝助   (身を縮め)へえ!ありがてえ!

新兵衛  素直な自分に戻ったお前さんの姿を見たら……若竹の女将も妹のおみよさん
     も今までの不義理を許してくれることだろうぜ。

孝助   ヘえ……今なら女将やおみよに限らず誰にだって素直に謝りたい気分で!

新兵衛  人は善の中でも悪事をなし……悪事の中でも善をなしだ……人が人を裁く
     なンてのは傲慢なことサね……人の善し悪しは……いずれ閻魔大王様に裁
     いて貰うしかあンめえよ。

孝助   へえ、何もかも旦那のお陰で……(廻りを見て)アレ!深川富岡八幡の赤鳥
     居が川下に……ということは前に浮かぶ橋は?

新兵衛  おうよ……長さ百十六間の新大橋サね。

孝助   という事は……大川を上ってンですかい?

新兵衛  ヘッヘ…大川端を上って両国へ出て大川橋をやり過ごすと直ぐに今戸橋だ!

孝助   今戸橋へ出れば……山谷堀と日本堤は目と鼻の先……旦那!行き先は?!

新兵衛  言わずと知れた吉原羅生門よ!アッハハ!

孝助   旦那!棹はアシが!

           新兵衛と棹を代わる、孝助

           走る、舟

新兵衛  あァ!いい気分だぜ!

孝助   旦那……お役目始末は?

新兵衛  夕べまでに身の回りや家のことは始末したよ……アッハハハ!

孝助   へえ!

新兵衛  お前さんとおみよさんに感謝するのは俺の方だぜ。

孝助   新しい世界で……旦那や妹のおみよと生きてゆける思うと……アシは胸が
     一杯になりやすよ、旦那!

新兵衛  ヘッヘ……馴染みの周五郎や浦安釣り仲間の奴らめ……俺達三人を見
     たら目を白黒させることだろうぜ、アッハハハ!

孝助   旦那は……いいお仲間衆をお持ちで!

新兵衛  いやいや……人間一人じゃ何もできゃしねえ……誰だって皆の力を借りて
     生きているンだよ……そりゃそうと舟大工の周五郎にもう一艘作ってもらわね
     えとな。

孝助   へえ?

新兵衛  腕ッこき船頭の孝助どんに朝早くからアサリを獲って貰うことになるからな。

孝助   へい!お安い御用で!

新兵衛  お前さんとおみよさんにはイイ連れ合いをメッけなくちゃなァ。

孝助   旦那!
 
新兵衛  俺達の晴れ舞台の道行きの筋書きはこうだ……島送りになった観音の孝助と
     牢役人後藤新兵衛の二人は……朧月夜の大川辺りで流人舟ごと行方知れずに
     なるという闇始末サね。

孝助   ヘッヘ……朧月夜の大川に白浪と消えにけりですかい、新兵衛の旦那!

新兵衛  いい風が吹きやがる!さァ、行くぜ、孝助どん!

孝助   へい!新兵衛の旦那!

            舟棹を差す、二人

            大川を静かに走る流人舟
            
                                        

                            幕




       ☆しばらく筆を置きます     漢

                  ………………   ………………


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♯48 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]


新兵衛  メシ屋を開く元手は……お前さんの十両と俺が質素倹約して少し
     蓄えた銭でやろうじゃねえか……どうだい!

孝助   へ、へえ!(涙ぐむ)旦那のお話を……おみよや川竹の女将が聞い
     たらどんなに喜ぶことやら!新兵衛旦那!人様のお情けがこんなに
     身に染みて有り難えと思ったことは今の今までありやせん!

新兵衛  情けは人の為ならばこそだ……涙は最後の仕上げまで取ッときな
     ……一つだけ聞くが……江戸に未練はあンのかい?

孝助   江戸暮らしはもうコリゴリでさァ!

新兵衛  判った!善は急げ渡りに舟だ……交代だ!

孝助   ヘ、へえ!

         御用提灯を畳む、新兵衛
         釣具を片づけて舟棹を握る、新兵衛

         浮かぶ、朧月
         流人舟を止める、新兵衛

新兵衛  ……。
孝助   !

新兵衛  月は朧に霊岸橋……真ッ直ぐ行きゃ船番所……大川を上るか下るか
     ……ここが命の思案橋ッてね!

孝助   旦那?

新兵衛  ええい……ままよ! 

          舟棹を川面深く差す、新兵衛

新兵衛  おりゃァ!

          舳先を川上へ大きく方向転換する流人舟 

新兵衛  ……。

           お囃子の音、流れる

孝助   だ、旦那?

新兵衛  ふーッ!若え頃は舟廻しなンぞ片手でへっちゃらだったが……年を
     くったもンだぜ……気付けに一杯くンな!

孝助   へえ!

          グィと一口飲む、新兵衛

新兵衛  ……俺の兄貴と捨蔵の供養だ……。

          酒を川に振る、新兵衛

新兵衛  ……。
孝助   ……。

          合掌する、孝助と新兵衛

新兵衛  さァ!新兵衛舟の本当の最後の船出だ!

孝助   !

         棹を差す、新兵衛

         川面を走る、流人舟





         ………………   ………………


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♯47 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]


新兵衛  おいおい……船頭が棹を落としてどうするよ。

孝助   へ、へい!

           棹を持つ、孝助

新兵衛  俺ァ今夜で牢役人の勤めを終えて……明日ッから浦安辺りで釣りでも
     やりながら余生を送るなンて言ったが……本音を言えば……老い先の生
     き甲斐を探しているのが本当の本音なンだよ……。

孝助   旦那……。

新兵衛  お前さんからメシ炊きの巧え妹のおみよさんがいるという話を聞いて…
     俺ァ少し元気が出たンだよ……。

孝助   ヘッヘ……妹のおみよが旦那の嫁になるなンて夢みてえな話ですぜ!
    有り難えなァ!願ってもねえ縁組だ、新兵衛の旦那!

新兵衛  オイオイ、ちょっと待ってくンな……お前さんの大事な妹のおみよさん
     を嫁にくれなンて誰が言った……ンな罰当たりな事をしたら浅草寺の御
     河童様におケツを割られるッてもンだぜ!

孝助   だって……たった今……おみよを引き取るッて!

新兵衛  年寄りをからかうもンじゃねえよ……俺ァ、明日から仕事も無く年だけ
     とってゆくのがイヤなンだ……仕事だって人生だってまだまだやり直す
     つもりだったンだよ……。

孝助   おみよの奴を可愛がってやって下せえよ、新兵衛旦那!

新兵衛  お前もセッカチな野郎だな……俺の話を聞いてよ-く考えてくんな。

孝助   へ、へえ!

新兵衛  チョイと思いついたことがあンだが……お前さんもおみよさんも俺も
     ここが正念場だ……ここはよーく考えなくちゃな……。

孝助   何の正念場なンですかい、旦那?

新兵衛  どうだい……妹のおみよさんの夢を叶えてやろうじゃねえか!

孝助   ヘッヘ……ありゃホンの冗談ですぜ、旦那。

新兵衛  バカ野郎!何をほざきがる!この唐変木!
 
孝助   はェ?

新兵衛  ええい!やめだやめだ!バカ面下げた観音ノ孝助なんざサッサと
     何処へでも消えちまえ!

孝助   ダ、旦那!

新兵衛  手前の頭にゃ一体何が詰まってやがンだ!

孝助   ?

新兵衛  おみよさんの夢は……バカな兄貴とメシ屋を開くのが子供の頃からの
     夢だったって言ったじゃねえかよ!

孝助   へ、へえ!

新兵衛  可愛い妹のおみよさんのこさえた旨え飯と惣菜をお客に腹一杯食わせ
     てやろうじゃねえか!

孝助   メシ屋を?!





         ………………   ………………


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♯46 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]


新兵衛  ……着けてくンな。

孝助   へえ!

         舟を岸辺に着ける、孝助

新兵衛  ちょいと舟鑑札を見せて通行料を払ってくらァ。

         サッと舟を下りて姿を消す、新兵衛
         番犬の吠える声

           静寂

孝助   (独白)流人の俺を一人にして……十両の金は置いて好きにしろってか
     ……逃げるなら今だ……まさか……此処を逃げ出せば自由の身ってか…
     ガキの頃から他人を信じたことはねえし情けを掛けられるのも拒ンで生き
     てきた俺だが……さてさて……どうしたもんか……。

           響く、川の流れ

孝助   いやいや……待てよ、孝助……俺のことを信じてくれた新兵衛旦那に
    妹のおみよのことも頼めたじゃねえか……旦那の言う一生に一度のイチ
    ゴの縁を裏切るような真似をしちゃ男の義理が立たねえだろうぜ……それ
    こそ観音様の天罰が下り閻魔様の前で釜茹だぞ……どうやら今度ばかり
    は新兵衛旦那に大きな借りができちまったぜ……一生掛かっても返せッこ
    ねえお情けだ……。

          番犬の遠吠え
          戻って来る、新兵衛

孝助   旦那!

          舟に座り込む、新兵衛

新兵衛  二朱金は番所連中にお別れの袖の下に使わして貰った……「今夜の
     水カサはこれ以上増えねえが夜釣りは気を付けろ」だとよ……何を言い
     やがる……この新兵衛様は流人舟の船頭を何十年やってると思ってや
     がンだ……賄賂づけの雲助番人どもめ……さァ、行こうか!

孝助   へい!

         捩じり鉢巻きの孝助
         棹を突いて舟を流す、孝助

孝助   ……。
新兵衛  ……。

          遠のく大番所の灯

新兵衛  すっかり興醒めしちまったな……。

          釣糸を遠くへ投げる、新兵衛

孝助   ……。

新兵衛  孝助どん……妹のおみよさんを俺にくれねえかい。

孝助   ヘッ!妹のおみよを旦那に!

          棹を落とす、孝助
孝助   !





        ………………   ………………


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♯45 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]


孝助   あァ……仁太夫は辰三親分のお供で面識だけは……。

新兵衛  だろうな……実はな、牢名主権太郎も弾左衛門様の息の掛かった
     配下なんだよ……小伝馬牢が出来た時から牢名主の名で……悪を
     仕切るのは悪の道理よ。

孝助   という事は……牢役人の旦那衆は?

新兵衛  牢役人は常時六十人……メッカチ安の様な牢屋下男が凡そ三十人
     ……皆、弾左衛門様の息の掛かった配下だ……。

新兵衛  江戸中の非人衆や河原者や用心棒の小屋者連中を入れると子分
     衆だけで七、八千人は下らねえだろうぜ……江戸中の橋下に暮らす
     非人や無宿者から上は牢屋奉行までが裏奉行矢野弾左衛門様配下
     というわけよ……流人廻船を差配なさる海賊奉行霊岸島船手頭向井
     将監様も……所詮は裏奉行様の縁の下の力持ちというわけサね。

孝助   じゃ……新兵衛旦那も裏の?

新兵衛  俺が裏世界の人間に見えるかね?

孝助   いや……話に聞いた裏の仕置き人とか牢役人は皆さんそうなのかと…。

新兵衛  仲間内の欲深え連中がお頭様の側近とツルんで身の栄達をもくろむ
     のをイヤというほど見てきたが……裏の人間達とはつかず離れず深入り
     せず悪に染まらず目立たずで三十年……真面目に牢役人を勤めさせて
     貰っただけよ……。

孝助   左様でしたか……流石は人生の達人様だ……実は、アシも若え頃
     に非人を纏める小屋者にならねえかと誘われやしたが……幸か不幸
     か組織に入る暇なンぞありゃしませンでした……腹を空かした妹の為
     にコソ泥の方が忙しくてね。

新兵衛  そうかいそうかい……お前さんも俺も裏世界の仲間じゃ無かった…
     それでいいんだ……安心したぜ。

孝助   滅相もねえことで……。

新兵衛  ホレ……ウキ先から目を離すんじゃねえ!

孝助   ヘッ!

新兵衛  世の中なんて裏表白黒善悪だけじゃ割りきれるもんじゃねえし…
     俺ァ正義の味方でも聖人君子でも石部金吉でもねえやね……手前
     の思いを胸に生きてきただけだよ……。

孝助   へえ……(見る)旦那、あの篝火は?

新兵衛  茅場の大番所だよ。

孝助   !

        大番所の焚き灯が近づく
        番犬の遠吠え





          ………………   ………………


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♯44 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]


孝助   新兵衛の旦那……長え間、ご苦労様でした。

新兵衛  ありがとよ……世の中の役に立ったかどうかは判らねえが……誰にも
     負けねえつもりで罪人達の面倒を見てきたと自惚れてンだよ、ヘッヘ。

孝助   へえ……牢内で旦那に面倒をかけた野郎どもは感謝しておりやした…
     アシも心を入れ換えてお務めに励みやす……(見て)旦那!サ、魚!

新兵衛  (見送って)……アイツはヒヤカシの客よ。

孝助   明後日来やがれッてンだ!

          遠くに暮れ七ッ半の時の鐘

新兵衛  孝助どん……白浪の世界で男を磨いたお前さんにチョイと聞いておき
     てえことがあンだが……。

孝助   へえ?

新兵衛  お前さんは牢獄じゃ牢名主権太郎様に世話になり……メッカチ安とも
     仲間だったと言っていたが……。

孝助   へえ……牢内じゃ中座二番役でシキタリや外部交渉の真似事を賜り
    畳を頂いていやした……。

新兵衛  牢役人のお頭様は三百俵十人扶持の牢獄奉行石出帯刀様だが……
     罪人を扱う不浄の役職故に龍ノ口評定所に報告文書を提出するのが関
     の山……生涯、御城内に入るべからずの御仁様なンだよ……。

孝助   へ、へえ。

新兵衛  極悪人が横行する江戸八百八町を取り締まるのは……南北町奉行の
     与力同心合わせて二百五十人ほどだが……次から次に現れる悪党ども
     を始末するにゃ力が及ばねえンだな、これが……。

孝助   ……。

新兵衛  そこで……悪党始末の力が足りねえ南北町奉行を陰で支えているのが
     裏奉行矢野弾左衛門様だ……この御仁は神君家康公お抱えの三河草者
     衆あがりで幕府開闢以来江戸の闇世界に君臨なさっていることは知ってた
     かい?

孝助   へえ……非人頭弾左衛門という名は何度か耳にした程度で……。

新兵衛  弾左衛門様の名称は世襲制で今は八代目浅之助様だ……寛政五年
     の春に僅か十五才で弾左衛門の名代を引き継がれたンだよ……。

孝助   アシらにゃ雲の上の弾左衛門様で……。

新兵衛  裏浅草のお屋敷の門構えは三千石以上の旗本並み……息の掛かった
     配下衆は江戸近郷中に何千人いるか判ったもンじゃねえ……。

孝助   へえ! 

新兵衛  お前さんか世話になった浅草の辰三親分のお頭は誰だった?

孝助   へえ……嫌われ者の下根岸の善八検校で……。

新兵衛  あァ、やっぱりな……善八検校は弾左衛門様の配下で……その下に
     盛り場の大道芸人や香具師連中に睨みを利かせるのが下谷山崎町の
     乞胸仁太夫だ……。



          ………………   ………………


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♯43 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]


新兵衛  こうやって糸を垂れてるとな……俗世を捨て魚と遊ぶ太公望の心持ちに
     なれるンだぜ……だから釣りはやめられないンだな……。

孝助   シーッ!

新兵衛  こうやってウキ先に見入っているとな……フト、自問自答している手前が
     いるンだよ……日々の暮らしに月々のヤリクリ……次の休みは何をして過
     ごそうか……今年の桜見物は隅田にするか小金井にするか……両国の茶
     店の娘はいい女だなァとか……仲見世伊勢屋の鰻とカモ鍋はどっちが旨え
     のかなァとか……寿司とおでんはどっちが高えのか……普段の暮らしで忘
     れてることやどうでもいいことが頭の中を駆け巡るンだよ……喜怒哀楽の煩
     悩に縛られた手前のことを実感したり……結局、人間てな死ぬまで煩悩は
     捨て切れない生き物だとか……世間のシガラミや煩わしい雑事が頭に浮か
     ぶンだ……。

孝助   達人様でも俗世を忘れることは出来ねえンですかい?

新兵衛  ヘッヘ……糸を垂れ魚と戯れ俗世の煩わしさや己の煩悩を忘れる……己
     の心が無になり最高の贅沢を感じられりゃ本物の太公望様になれるそうな。

孝助   へ-え?アシにゃ何のことやら……?

新兵衛  お前さんだって……心を入れ換えれば太公望様になれンだぜ。

孝助   ヘッ……?

            酒を口にする、新兵衛
新兵衛  ……。
孝助   ……。

            ゆっくりと流れる舟
            静かに釣糸を垂れる、二人
            水鳥が走る
            雲、流れる

孝助   ……。

新兵衛  若え頃……世の為人の為に役立つ人間になりてえと思っていたンだが
     ……兄貴の一件、以来……牢役人として切羽詰まった罪人達を相手にし
     ている内に……この世に生まれた人間てな……理屈や道理だけじゃ割り
     切れねえ生き方を強いられてるンだなァということが判ったンだよ……罪
     人達の話をじっくりと聞いてるとソイツが仕出かした悪事を許してやりてえ
     と思うようになったし……どんな悪党にも改悛できる一握りの良心がある
     ってことが判った時は観音さんに心から手を合わせたもンよ……。

孝助   ……。

新兵衛  牢獄の罪人だって腹は空かすンだ……牢役人の仕事は罪人達のメシ
     の用意から薬や雪隠ダメの面倒……真冬の寒さを防ぎ夏の暑さにやられ
     た奴には水を与える……イチイチ数えりゃキリがねえやな……罪人だって
     誰かが面倒を見ねえと虫ケラ以下の生き物になっちまうンだよ……長年、
     生死を彷徨う罪人達の面倒を見ていたら己の出世や損得を考える暇は無
     かったのが正直な気持ちだよ……気がついたら三十年過ぎていたってわ
     けだ……罪人と一緒に生きる人生だったが後悔はしちゃいねえ……今夜
     でお役目御免だが……明日からはお天道様に手前を恥じることなく生きる
     つもりだよ。



               ………………   ………………


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♯42 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]


新兵衛  オイオイ……そんなに乱暴に振らしちゃ魚が驚いて逃げちまうよ……
     教えたばかりじゃねえか……いいかい……ウキから目を離さず竿を軽く
     スーと川面を滑らせ誘いを入れる……。

孝助   へ、へえ……。

         竿を振る、孝助

新兵衛  ホラホラ!そンなに乱暴に振っちゃ駄目だ!覚えの悪い野郎だな!

孝助   旦那……釣りは静かにやるンじゃねえンですかい?

新兵衛  そうそう……釣場で騒ぐバカにつける薬は無えッてか、アッハハ!

孝助   シーッ!

新兵衛  ホレ……引いてる引いてる! 

孝助   オット!

           慌てて竿を引く、孝助

孝助   あッ!クソッ!餌だけ食って逃げやがった!

新兵衛  下手くそ!当たりが来たからって慌てて竿を引いちゃ魚は逃げるだ……
     魚の動きに合わせて一、二、三で竿を上げンだよ!

孝助   判ってやすよ!旦那がうるせえから魚も逃げンだよ!(棹を見て)チッ、
    食い逃げしやがって……コソ泥め!

新兵衛  どうだい……コソ泥にやられた気分は?

孝助   ヘッヘ……どうにも痛し痒しで……。

新兵衛  それが判っただけでも大したもンだ……気分はすっかり堅気の衆だ
     ろうぜ、え、孝助どん。

孝助   ヘッヘ……旦那のお教えの通りで……。

新兵衛  釣りは辛抱第一……人生も辛抱第一……。

孝助   へえ!

         釣餌をつけて竿を立てる、孝助  
     
新兵衛  ♪~釣りは釣りでも~♪~夜釣りは楽し~♪~見返り柳の下で待って
     いるのはよォ~♪

孝助   シーッ!

          竿を引く、孝助

孝助   クソッ!またやられた!今度こそ承知しねえからな!

新兵衛  釣り下手は逃げた魚に文句を言いッてか、アッハハ!

孝助   (睨む)旦那!

          餌作りする、孝助
          酒を口にする、新兵衛

新兵衛  (呑む)ヘッヘ……どうにもこうにも今夜はガキの様に心がハシャギ
     やがるぜ……イイ年こいた親爺と笑らわば笑えだァ!アッハハハ!

孝助   御神酒はほどほどに願いやすよ、旦那。

新兵衛  ヘッヘ……酒好きの俺に酒をつけとどけたのは何処のどいつだよ!

孝助   シッ!魚が逃げやすよ、旦那!

             静寂





              ………………   ………………


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♯41 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]


孝助   ……。

新兵衛  ドレ、糸でも垂れてみるか……足元に釣道具があるから出してくンな。

孝助   はェ?

新兵衛  上等な酒の肴が欲しくねえのかい。

孝助   へえ!

         釣竿を出し新兵衛に渡す、孝助

孝助   釣りなンかやって番所に間に合うンですかい?

新兵衛  な-に、番所役人の奴らは待ちぼうけがお役目よ……構うもンけ!

孝助   へ、へえ。

          釣餌の支度をする、新兵衛

新兵衛  釣餌は水でふやかした煮干しに桜花と……(信玄袋から小餅を出す)
     小餅にからめて……。

孝助   ?!

         川面の桜花を拾う、新兵衛
         釣餌を釣針につける

新兵衛  ホレ、やってみな。

孝助   へ、へえ。

          船尾に櫓を結びつける、孝助
          見様見真似で釣餌を作る、孝助 
      
            カンテラを舟縁に取り付ける、新兵衛

新兵衛  カンテラで川面を照らすと魚たちが集まるンだ……この時期だと……
     メバルにサクラタナゴに夜行性のウシノシタに……天麩羅ネタのギンボ
     にトビヌメリだ……トビヌメリはキスゴより上等な味なンだぜ。

孝助   へえ!流石は旦那だ……いろいろ物知りで!

新兵衛  なーに……江戸前の漁師なら誰でも知ってることサね。

          釣糸を垂れる、孝助と新兵衛

新兵衛  ……。
孝助   ……。

           川面に浮かぶ、釣師二人

孝助   ヘッヘ……どうにも手が慣れませンやね。

新兵衛  フッ、白浪の頃は岡釣り専門だったろうからな。

孝助   勘弁してくれよ、旦那……。

新兵衛  (手ほどき)竿は軽く持って肩の力は抜いて……手は軽く竿に添えて
      ……そうそう……肝心なことは例え耳元で半鐘が鳴ろうとウキ先から
     目を離しちゃなンねえぞ……時々、竿を振って誘いを入れるンだ……。

孝助   へ、へえ!

         乱暴に竿を振る、孝助

孝助   チッ!





         ………………   ………………


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♯40 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]


孝助   (独言)タクよ……こちとら最後の島務めに出るというのによ……
     やっかいな旦那に出会っちまったもンだぜ!

新兵衛  ♪~土手の雀に手を振れば~~チュッチュッチュンがチュン~か♪

孝助   ……。

新兵衛  (棹さばきを見て)なかなかやるじゃねえか、孝助どん!

孝助   ヘッヘ……若え頃は猪牙舟で遊んだもンでサ。

新兵衛  まだンなこと言ってやがる……。

孝助   お役人の旦那は座敷で一杯……流人のアシが棹を握るなンてな…
     どうにも世の中アベコベで妙な気分ですぜ、新兵衛旦那!

新兵衛  フッフ……な-も気にすることたァねえ……暗闇のこぬか雨がもっけ
     の幸い……どっちが流人か牢役人か誰にも判るもンけえ。

          舟の真ん中に陣取る、新兵衛

新兵衛  ……。

           廻りを伺う、孝助

孝助   ……。

新兵衛  世の中にゃ罪深く許しがたいアクドイ連中はゴマンといらァな……
     お前さんも俺も世の中のシガラミに縛られて生きるのもここいらで勘弁
     して貰おうじゃねえか……昨日まで見知らぬ者同志袖擦り遭うも大い
     なる縁てか、ハッハハハ!

孝助   ヘッ……すっかり大名気分ですかい?

新兵衛  ホレ、舳先が曲がってンぞ!

孝助   へ、へい!

         慌てて舳先を直す、孝助

孝助   !

新兵衛  座敷に座るのも気分がいいもンだな……浦島太郎にでもなった気分だ
     …そのうち乙姫様でも迎えに来てくれるンじゃねえかな、アッハハハ!

孝助   何言ってンだか……流人にとっちゃ針の筵でさァ。

新兵衛  そンな事ァもうどうでもいいンだ……二人で新兵衛舟の最後の花道と
     洒落れようじゃねえか……。

          酒を口に運ぶ、新兵衛

孝助   へ、へえ?!

          指を舐めて立てる、新兵衛

新兵衛  追い風でイイ気分だぜ!♪~そぼ降る小雨に映える土手の夜桜~♪
     ~相合傘で遠回り~♪てか。

孝助   ヘッヘ……旦那の御機嫌に誘われてアシまで何だかワクワクドキドキで
     ……イイ気分だなァ!こんな気分になったのはガキの頃に妹のおみよを背
     負って家を捨てた時以来でサ。

新兵衛  観音さんにゃ手を合わせ閻魔様にゃアッカンベ-だ!ハハハハ!

孝助   へえ……このまま何処までも漕いでいたい気分でサ!

           川を走る、流人舟





         ………………   ………………


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♯39 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]


孝助   さっきから何が何だか?まるで観音さんにゃ背中をくすぐられ……
    鼻面にゃ閻魔様に出食わしたような気分でやンすよ……。

新兵衛  ヘッヘ……観音さんの御慈悲をソデにしてみろ……地獄落ちの上
     に閻魔様に舌を抜かれ釜茹でだぞ。

孝助   勘弁してくんろ……。

新兵衛  俺ァ今までイイ思いをしたことは何ひとつ無かったが……今夜ほど
     観音さんに感謝することは後にも先にも無えことだろうぜ……人生捨
     てたもンじゃねえな……明日から長生きしてみたくなッたぜ、ハッハハ!

孝助   何を呑気に?人の気も知らねえでよ、全く!

新兵衛  この世にゃ捨てる神も拾う神も本当にいるンだな、ハッハハハ!

孝助   またァ!旦那の仰ることはどうにも浮世離れで……アシのボンクラ
     頭にゃ何が何ンだか……!

           幸助の傍を川鳥が飛ぶ

孝助   ヒッ!

新兵衛  ところでよ……もしもだよ……この十両を妹のおみよさんが受けと
     らなかった場合は……この十両の行方というか使い道なンだがな…。

孝助   そン時は旦那のお好きな様にお使い下せえよ。

新兵衛  だよなァ!この十両は確かに俺が預った!

           十両を小袋に入れる、新兵衛

新兵衛  ヘッヘ……俺ァホンに運のいい男だぜ……(見得)懐に転がり込ンだ
     棚ボタの金十両を如何に使わん!

孝助   (呆れ)ヘッ。

新兵衛  善は急げと言うが焦ることは無えやね……フッフ、最後の新兵衛舟に
     乗り合わせた観音ノ孝助どんはホンに運のいい男だぜ……ここいらで仕
     掛けの一幕は終わりにするか……ドレ、棹を交代するか!

孝助   ヘッ?

          棹を孝助に渡し座敷で一服する、新兵衛

新兵衛  ……。

孝助   ダ、旦那は一体全体何をお企みなンで?

新兵衛  ……。

孝助   どうでも今夜は極めの厄日だぜ!島抜けしろだなンて……ええい!
     こうなりゃ上野のゴンギツネでも根岸のゴンタヌキでも出て来やがれ
     ってンだ!

新兵衛  ホレホレ……棹を差さねえと舟がヘソを曲げるぜ!

孝助   へ、へえ!

           器用に棹を扱う、孝助

           浮かぶ、朧月

新兵衛  ホレ……ボンヤリお月さんもニンマリ笑ってらァ……もチット飲ませて
     貰うぜ……夜風がヤケに身に凍みる年なンでね……。

          酒を口にする、新兵衛





          ………………   ………………


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♯38 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]


新兵衛  お前さんが白浪の世界でやらかした事はシガラミ人生の付け足しだ
     ……俺にゃ判ったンだ!観音ノ孝助がやらかした事は全て夢幻の中
     での出来事だとな……うん!

孝助   夢幻の出来事? 

新兵衛  あァ!俺ァやっとその事に気づいたンだよ!

孝助   あのう……気は確かですかい、旦那?

          酒を口にする、新兵衛

新兵衛  オイ、孝助……お前は今までの人生に心から満足してンのかい!

孝助   ヘッ、アシは悪事をやらかした流人で……。

新兵衛  だから……それよそれよ……お前さんは流人になった手前の姿に
     満足してるのかって聞いてるンだよ!

孝助   ?!

新兵衛  お前さんは今まで生きて一体、何に満足したンだい……コソ泥に
     寺銭荒らしに巾着切りに白浪野郎……バクチだ男の凌ぎだとバカ
     な事をやらかしたのは本来の自分の姿じゃねえだろうによ……正
     直に素直に堅気になろうとするお前さんの心と魂が一番大事なん
     だ……この先、可愛い妹のおみよさんと一緒に生きる為にもな。

孝助   へ、へえ?!

新兵衛  いいかい……流人になる為にお前さんはこの世に生まれたワケで
     もあるめえし……流人姿の観音ノ孝助は真のお前さんの有り様じゃ
     ねえンだ……お前さんは生まれてこのかた本当の自分の有り様を
     知らなかっただけなンだ……。

孝助   ヘッヘ……何の講釈だか……サッパリ?

新兵衛  今夜……お前さんは自身の魂の在り処……真の生き方を見つけ
     たンだよ!

孝助   旦那ァ?!もう御託は勘弁してくれよ!

          酒を口に運ぶ、新兵衛

新兵衛  (呑む)ヘッヘ……お前さんが新兵衛舟に足を踏み入れた時から思
     っていたが……孝助どんは運の良い奴だ……最後の新兵衛舟に乗
     らねえで何処かの島へ流されていたらどうなっていた事やら……良
     かった良かった……。

孝助   へえ?

新兵衛  呑むかい……。

孝助   へ、へい!待ってやした!

           呑む、孝助

孝助   ヘッヘ……旦那の話を聞いてると……アシの脳味噌が明後日の知
     らン顔の半兵衛なんで……なんともモドカシイのを元に戻して下せえ
     よ、旦那!

新兵衛  フッフ……今までのお前さんの心の中には写し鏡が無かったンだ…
     お前さんが今まで目にしていたのは白浪連中や罪人や科人の世界
     だった……ところが今夜……今まで出会ったことの無い後藤新兵衛
     という俺と話している間に……お前さんは本来の自分のあり方に気
     づいたんだ……そうだろう。

孝助   だからァ!もう勘弁してくンねえ!写し鏡とか何とかなんて何のことや
     らサッパリ判らねえンですから!

新兵衛  馬鹿につける薬はねえが……お前さんの馬鹿さ加減は俺にゃ眩し
     過ぎるぜ……よ-し、気に入った!オイ、三宅へ行くのはやめにし
     な、孝助!

孝助   ヘッ?島抜け?!何を言い出すンですかい、新兵衛の旦那!

新兵衛  ウン!決めた!そうだ!そうしよう!

孝助   ヘッ?何を決めたンですかい?ダ、旦那?!

新兵衛  クック!神様仏様孝助様大明神様だ、ハッハハ!




         ………………   ………………


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♯37 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]


新兵衛  そろそろ一石橋か……どうだいイイ匂いがするだろう。

孝助   ヘッ?

新兵衛  牢暮らしが長えと鼻をやられるというが本当だな……ホレ、よ-く匂いを
     嗅いでみなよ。

          鼻を突き出す、孝助
孝助   さァ?

新兵衛  甘酸っぺえ酒粕の匂いが風に吹かれて漂い……土手にゃ家紋入りの
     白壁がズラリ……剣菱に勇熏に山城に伊丹山は上方で有名な灘や伊丹
     辺りの銘酒……此処いらは大身代の酒問屋の蔵屋敷サね……江戸者の
     口に馴染みの銘酒隅田の都鳥や宮古川の味も悪くかねえが……灘の生
     一本の旨さは相当なもンらしいな……ゴクリ。

孝助   まだ……お召しあがりじゃ無えンで、旦那?

新兵衛  ヘッ、貧乏役人が極上灘の酒なンぞ飲めるけえ!

孝助   だったら……旦那に預けた十両で灘の酒を呑ンだらどうでやンす?

新兵衛  何抜かす!この銭は妹のおみよさんのだろうが!

孝助   へえ……すンません。

新兵衛  全く……何を言いだすのやら……。

孝助   いや……アシは只……旦那に呑んでもらてえと……。

新兵衛  ヘッ、匂いを嗅いで呑んだ気分よ。

孝助   ……。

新兵衛  さて……一服するかな。

          一服する、新兵衛

孝助   ……。

新兵衛  俺ァさっきからズッと考えてたンだ……正直に辛い身の上話をしてくれ
     たお前さんが……何故、流人に身を落さなきゃならなかったのかなァってな。

孝助   ヘッ?

新兵衛  好きで流人になる奴はいねえだろうし……流人になったのは前世の
     因縁だとか穿ったことも言いたかねえ……お前さんの身の上話を聞き
     ながら俺ァ確信したンだ……お奉行様がどう裁こうと世間の奴らが何を
     言おうと観音ノ孝助がやらかした白浪の類は観音様も閻魔様もお許し
     になるに違いねえとな。

孝助   ヘッヘ……もう御神酒が回ったンですかい?

新兵衛  俺ァ正気も正気よ……いいかい……お前さんは寺銭荒らしで二の腕に
     盗犯者の御印を貰って以来……寄場に入れられたりお奉行様に裁きを
     受け牢獄に入れられたり……挙げ句に流人となったのは現実にお前さん
     の身に起きた出来事だが……俺ァお前さん自身の魂の在り処をズッと探
     していたンだ……。

孝助   はへッ?魂の在り処?

新兵衛  いいかい……お前さんはガキの頃から幼い弟妹の為や年の離れた
     可愛い妹のおみよさんの空腹を満たす為に泥棒猫のように生きてきた
     だけよ……お前さんは自分のやらかした事が悪事だとは思わなかった
     知らなかった……。

孝助   へえ……旦那……一体、何のお話で?





            ………………   ………………


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♯36 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]


孝助   へえ……アシはとうに覚悟はしておりやすが……新兵衛旦那の新しい
     暮らしを思いやると何も手助け出来ねえ手前が不甲斐無くて申し訳ねえ!

新兵衛  ありがとよ……なーに、心配はいらねえやな……浦安辺りで昔馴染み
     の釣舟屋に世話になりながら堅気になったお前さんの戻りを待つことに
     するサ。

孝助   旦那ァ!嬉しいこと言ってくれるなァ!ところでその昔馴染みの釣舟屋
     てな?

新兵衛  名前は周五郎……若え頃、浅草寺裏の居酒屋で奴が暴れてるとこを
     なだめすかして話を聞くと……棟梁との折り合いが悪い上に職人として
     やり甲斐のある仕事がしてえと言うから浦安の舟大工の棟梁に預かって
     貰ったンだよ。

孝助   へえ……浦安の周五郎さん……覚えときやす!

新兵衛  俺は三十でお崎と所帯を持ったが……周五郎の奴が祝いに舟を作って
     くれてこう言うじゃねえか……「姉のお崎を新兵衛旦那に貰ってもらうなン
     てこんな嬉しいことはありやせん」とな……立派な舟大工になった周五郎
     がお崎の弟だったとは知らぬが仏の新兵衛様よだ……でもよ、人間は目
     に見えねえ絆で結ばれていると実感したものだったぜ……。

孝助   へえ!旦那の人徳に惚れた内儀さんにデキタ義弟さんで!

新兵衛  嬶のお崎がこの世に残してくれた唯一の財産は弟の周五郎に作らせた
     このオンボロ舟だけだが有り難てえもンだ……。

          舟の脇腹を撫でる、新兵衛

孝助   思いの深い新兵衛舟なンですねえ……。

新兵衛  お前さんも妹さんとの絆は切っても切れねえものだろうぜ。

孝助   へえ……今度ばかりは立派に島務めを終えて素ッ堅気になって戻り…
     妹のおみよと二人でマットウに生きようと思っておりやす、へえ!

新兵衛  オッホホイ!それでいいそれでいい……どうやら正直で素直な自分を
     取り戻せた様だな……観音の孝助どん。

孝助   旦那!

         遠くに巷の灯

孝助   ……この風景も見納めか……。

新兵衛  (ボソッと)三宅島だ……お前さんの行き先は……。

孝助   三宅?!だって、行先は番所の……!

新兵衛  三宅じゃ不服かい。

孝助   いや……今度ばかりは表八丈だと!

新兵衛  ヘッヘ……新兵衛様は何んでもお見通しよ。

孝助   有り難うごぜえやす!旦那に約束しやす!立派にお務めを果して一日
     も早く戻りやす!(訥々と)妹のおみよはガキの頃から腹一杯メシが食い
     てえと言うのが口癖でしてね……居酒屋川竹にお世話になった頃は……
     習い覚えたメシ炊きや惣菜作りに熟練したら兄妹でいつかメシ屋を開くの
     が夢だなんて言ってくれやした……。

新兵衛  ……。

          棹を差す、新兵衛

新兵衛  ……。

            遠くに寺の鐘




           ………………   ………………


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♯35 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]


新兵衛  牢役人も時にゃ捕方として町場の大捕物に駆り出されるンだ……
     その時に、凶暴な悪党に立ち向かう胆力と勇猛果敢さを心得る為に
     張番を務めるンだよ……いいかい……張番に押さえられ我が身を二
     つ折りにした死罪人が土壇場の前に首を差し出す……罪人の額に
     垂れた面紙が小刻みにチチチッと震える……そこへ、烏石をはめ込
     んだ様な三白眼で死神の遣い朝右衛門様が野袴の股立ち高く白襷
     姿で現れる……右手にはギラリと光る長刀二尺八寸の抜き身をひっ
     さげて息も乱さずスッと微動だになさらず死罪人の傍にお立ちになる
     ……白刃に清めの水がそそがれ最後の一雫が合図だ……左手でス
     -と振り上げた刀の柄に右の掌を広げてあてがわれ……親指、人差
     指、中指、薬指、小指と順に閉じられた瞬間……ブーンと胴太抜きの
     白刃が弧を描くと死罪人の生首が宙に舞う……死罪人を押さえた俺
     達の手にさえ伝わらねえ名刀の冴え……目の前に生首が飛ンでみ
     なよ……どうでも腹が据わり人生観も変わろうってもンだぜ……。

孝助   ヒッ!肝の冷える話で!

新兵衛  山田様は右手の指先の動きに合わせて南無阿弥陀仏を唱えられる
     そうな……死罪人を迷わず成仏させる観音菩薩の御心でな……。

孝助   ナマンダブツ!

新兵衛  高貴な人格品位の朝右衛門様が死罪人を三途の川へ送る閻魔様の
     お遣いならば……一介の牢役人にすぎねえ俺ァ悪事地獄の苦界に住む
     お前さん達の心や魂を安らげる慈悲深え観音さんの遣いだと心してやっ
     てきたつもりなンだよ。

孝助   流石は人生の達人様で……。

新兵衛  孝助どん……牢役人は世間様に自慢出来るような仕事じゃねえし何
     の見返りもねえ縁の下の下働きにすぎねえンだ……でもな、長年……
     罪人や科人の世話をやきながら学んだことは……どんな悪党だって改
     悛する心さえあれば善人になれるし……善人面した奴だって極悪を犯
     すことだってあるンだ……。

孝助   ……。

新兵衛  人間てな閻魔様と観音様の間を行ったり来たりして一生を終えるンだよ。

孝助   ……。

新兵衛  表通りを肩で風切り颯爽と歩くお役人は着流し落差しの八丁堀に任せて
     ……牢役人の俺ァ分相応を弁えて生きてきただけよ……。

孝助   へえ。

新兵衛  そンなこンなのシガラミも今夜でお終えだ……ひとつだけ気掛かりなのは
     ……明日から始まる新兵衛さんの第二の人生の暮らし向きだな……分相応
     年相応にどう生きるか思案橋ッてとこだ……。

孝助   ヘッヘ……一天地六のサイの目振れば明日は晴れるか雨なのか……
     旦那はどうでも生きて行けるだろうが……アシはいつになったら戻って来
     れンでしょうかねえ……新兵衛旦那?

新兵衛  ヘッ……江戸に未練はねえ戻らねえと見得を切ったのは何処の誰方様で?

孝助   旦那……。

新兵衛  八丈十五年、三宅十年、新島八年……何処の島へ行こうとジタバタせずに
     腹を括ってお務めを全うすることだな。





        ………………   ………………


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♯34 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]


孝助   旦那……いいんですかい?


新兵衛  ヘッ、これしきの酒で酔えるか……牢役人を長く勤めてこれたのは
     兄貴のお陰だと今でも感謝しているンだよ……。


孝助   侍の家に生れた旦那は苦労がおありだったンすねえ。


新兵衛  ところが……俺ァ侍社会が嫌いでな……身分や家名に一生縛られ
     殿様の為なら理不尽を承知で命を投げ出す……侍の道は死ぬること
     なり……バカ言っちゃいけねえや。


孝助   ……。


新兵衛  兄貴のことを悪く言うつもりはねえが……侍社会が好きだった兄貴
     は出世主義に陥り上役の御機嫌取りに忙しく罪人の扱いや接し方を
     知らないばかりに命を落としたンだよ……俺ァ牢役人見習いを一から
     やり直すことにした……給金一両二分一人扶持の牢屋下男として牢
     名主権太郎様に牢獄内のしきたりを教えて貰ったり……一日四文の
     味噌代を貰って牢屋敷内の掃除や罪人達のメシの支度に薬の出し入
     れに一日立ちぱなしの見張り牢番……夢中で仕事を覚えている内に
     張番もやれるようになっていたよ。


孝助   張番てな?


新兵衛  剣の達人六世山田朝右衛門吉昌様が打首になさる死罪人の手足
     を押さえる土壇場役のことだよ……こればッかりは並の人間にゃでき
     ねえお役目だ……え、孝助どんよ。


孝助   ヘへッ!首筋が寒くなる仕事で!


新兵衛  お前さんも死罪にならなくて良かったな。


孝助   ブルル!恐れ入谷の神様仏様!鬼子母神様!観音様!


新兵衛  ま、土産話にシッカリと聞いときな……そもそも山田家は将軍家
     御腰物お試し御用役という将軍様御刀の試し斬り役で朝右衛門様
     の名称は世襲制でな……元禄の五代将軍綱吉公の頃から、初代
     貞武、吉時、吉継、吉寛、吉睦吉昌と百年以上も続く大名跡だ……
     山田様以前の首斬り役人は奉行所の中で心得のある若手同心の
     役目だったが……元禄の頃に「近頃の与力同心の風体は、誠に言
     語道断……細銀杏の優さ髷に捲き羽織、色緒の雪駄、犬の首も斬
     れぬ飾差料を帯び女の歓心を買う事と袖下の余祿以外に頭を使う
     様子も無しなり……そういう輩は水も洩らさぬ一刀の冴えで科人の
     首を打落とす事など天上の星を掴むに等しい難事なり」と風評に書
     かれた通り……ある時、首斬り役を仰せつかった若え同心が武芸
     不鍛錬と気後れで……首斬りを仕損じ手負獅子の死罪人に大事な
     一刀を奪われ咽喉笛を斬り裂かれてお陀仏……慌てた立会人の
     与力と同心の三人がかりで死罪人を押さえ込み素ッ首を叩き斬った
     という前代未聞のお粗末な事件が起きたンだ……そのお陰で……
     達人二世吉時様の頃より首斬り朝右衛門様の誕生となった次第サ。


孝助   ヘッ!血みどろ始末の修羅場模様!オ、怖え!


新兵衛  牢役人でも一度は張番を勤めるのは何故だか判るかい?


孝助   いやいや……アシにゃトント……ヘッヘ!





          ………………   ………………


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♯33 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]


新兵衛  俺が十六ン時だった……正しく晴天の霹靂ッてやつでな……突然
     で理不尽な出来事に悔しいやら哀しいやらで牢役人のお役目を憎ん
     だものだったぜ……だってそうだろ……この世にたった一人の逞しい
     兄貴が先に逝くなンて誰が思うもンかよ……。


孝助   兄さんもお役人だったンですかい……一体、何があったンで?


新兵衛  兄貴の市之進は同心見習いだったが役人修行の一環として初めて
     流人舟に乗ったンだ……ところが……元来、心根の優しい兄貴は流人
     上州無宿の捨蔵に心を許したばッかりに霊岸橋の袂で捨蔵が隠し持っ
     た匕首で首筋をやられ二、三日経って大川百本杭の土左衛門様よ…。


孝助   たまげた話だ!で、捨蔵の奴は?


新兵衛  野郎は舟を奪ってトンズラ行方知れずよ……俺が牢役人になった
     のは兄貴の仇を討つ為だったンだよ。


孝助   左様だったンですかい。


新兵衛  親父殿は病で若死……後を継いだ兄貴と母親と三人暮らしだった
     が親父代わりの兄貴に文武両道を身につけろと厳しく鍛えられたンだ
     よ……兄貴が殺された一年後……俺ァ牢役人見習いになってから仇
     の上州無宿の捨蔵をずっと探していたンだ……孝助どんよ……人間
     悪い事はできねえもンだな……兄貴が殺されてから八年後のことだ
     ……新兵衛舟に武州米吉と名乗る無宿者が乗り合わせたンだよ…。


孝助   ヘッ!ひょっとして?


新兵衛  天罰覿面……神仏の悪戯か思し召し……捜し求めていた仇の捨蔵
     に出食わすとはなァ……初めはソイツが長年探していた仇の捨蔵だと
     は判らなかったし……奴だって俺が市之進の弟だと知る由も無しだ。


孝助   とんだ所へ白浪権八だ!


新兵衛  いつものように世間話や懺悔話を聞きながら舟を漕いでると……
     捨蔵の奴が冥途の土産話だと抜かし「八年前に若え牢役人を刺し
     殺して川ン中へ沈めてやったぜ」と自慢しやがったンだ!コイツか!
     コイツが兄貴を殺った捨蔵だと知った時は身体中の血が逆流して震
     えが止まらなかったぜ!


孝助   旦那!まさか?!


新兵衛  おうよ……何で兄貴をやったンだと詰めると只逃げたかっただけだ
     とよ……それを聞くと頭に血が昇り野郎を殴り倒し霊岸橋の袂で川
     ン中へ弔ってやったぜ……上には流人武州の米吉は舟から落ちて
     水死と報告して兄貴の仇討ちは一件落着……後藤家の面目は保た
     れた次第サね。。


孝助   へえ!旦那もヤル時はやるもンだ!


新兵衛  ところがよ……捨蔵への長え間の憎悪は消えたが……この手で
     仕出かした仇始末は澱のようにズッと胸の奥に沈んでいたンだよ…。


孝助   へえ……旦那は牢役人を天職になすったワケですかい……。


新兵衛  ヘッ……ワケ有り天職だがね……世渡り下手の俺には他に仕事
     も無かったしな……お袋は兄貴の後を追うように病にかかってあの
     世行き……出世の見込みの無え俺じゃ家録を支える力が足りねえ
     し兄貴の仇を討つまではと家屋敷はお預かりだったんだよ……。


           遠くに半鐘の音
           酒をあおる、新兵衛

新兵衛  ……。





             ………………   ………………


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♯32 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]

新兵衛  肝心要の中身は無え吹き流しの類だな。


孝助   ヘッヘ……アシらの世界の男は凌ぎと博奕と酒と女が全てなンで…
     どうでも男を磨き上げなきゃ一人前の極道にゃなれねえ仕組みでやン
     すよ。


新兵衛  あのな……俺ァ堅気の人間が本来持つべき魂の話をしてンだぜ…
     お前さんの肝心要で大事なのは可愛い妹のおみよさんのことだろうが。


孝助   へえ!だからさっきから妹おみよの事は男と見込んだ新兵衛旦那に
     お願えしてるンで!へえ!


新兵衛  オイ!ちょいと待ちな……手前さんは会ったばかりのアカの他人に
     大事な妹さんを押しつけて自分はノウノウと南の島暮しッてか!人様の
     迷惑も考えねえ野郎だぜ……チッたァモノを考えて言葉を吐きゃがれ!


孝助   またそんな啖呵きるンだから……いや、だからね……旦那はイチゴの
    縁とやらで妹おみよの面倒を見てやるって……さっき仰ったばかりじゃね
    えですかい!


新兵衛  ハハ-ン!観音ノ孝助ッて奴は手前の仕出かした悪事の帳尻り合わ
     せを四ノ五のと言っちゃァ大事な妹さんを他人任せに生きてきたンだな…
     生業とはいえ人様からクスねた銭で妹さんに着物や簪を買ってやッたっ
     て喜こぶワケはねえだろうがよ!


孝助   いや……だから……それは……。


新兵衛  言い訳ならお門違いだ……ま、舟が番所へ着くまでに腹を括って妹の
     おみよさんが幸せになれる算段をつけるこッたな……不義理ばかりの兄
     貴として最後の花道ぐらい恰好つけたらどうだい……観音ノ孝助どんよ。


孝助   だから……アシの有り金十両を旦那にお渡しして……。


新兵衛  そうだ!じゃ、こうしょうや!今までの話は全てチャラにして……この
     十両は隠居金として後藤新兵衛様が頂戴することにしょうじゃねえか。


孝助   ヘッ!それじゃトンビに油揚だぜ、旦那ァ!


新兵衛  うるへえやい!


            走る、雨音


新兵衛  通り雨か……。


            雨の中を流れる、流人舟


新兵衛  ……。
孝助   ……。


新兵衛  侍の世は面白うてやがて悲しきものなりか……観音ノ孝助どん……
     お前さんの土産話ばかりじゃ申し訳ねえな…今度は俺の身の上話を聞
     いてくれるかい……実はな、俺にもたった一人の兄貴がいたンだよ……
     ガキの頃から正義感が強く心根の優しい兄貴だったが……持って生まれ
     た気の優しさが命取りで二十一の若さでこの世とオサラバよ……。


孝助   優しさが仇の命ですかい……そいつは辛えことで……。





           ………………   ………………


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♯31 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]


          明かりが近づく
          土手の小役人衆に声をかける、新兵衛

新兵衛  お役目ご苦労様でごぜえやす!私は小伝馬牢役人後藤新兵衛と
     申しやす……コイツは牢屋下男の辰吉……船頭見習いでして、へい!

孝助   !
          
          棹を差す、新兵衛
          土手の明かりが遠く

新兵衛  ……。
孝助   ……。

新兵衛  この辺りは日本橋だ……魚河岸は夜明け前に一番セリが始まり昼
     過ぎには仕切りを終える……夜は墓場みてえに人ッ子一人いやしねえ
     ……流人舟はこの時分に此処を通るのが決まりよ……ホレ、見てみな
     ……誰もいねえ魚河岸にゃ腹を空かした野良猫や野良犬が捨てられた
     魚を漁ってやがるぜ。

           夜の静寂
           野良猫や野良犬の鳴き声が響き渡る

孝助   イヤな鳴き声だぜ……早くやってくンねえ、旦那!

新兵衛  (指差し)ホレ……河岸の角辻に小さな祠が見えンだろ……あの赤
     腹巻地蔵は此処いらを出入する舟のお守りだ……俺たちも此処を通る
     度に無事を祈って手を合わせるンだ……ホレ、お前も手を合わせな。

孝助   へ、へえ!

          手を合わせる、孝助

新兵衛  (手を合わせ)白浪の彷徨い歩き迷い道とどのつまりが獣道……ど
     うぞ観音ノ孝助どんが更生できるようにお手をお貸し下さいませ……。

孝助   ……。

新兵衛  獲物を拾い食いした野良達が咽喉の渇きを泥水で潤してやがる…
     俺ァ、此処を通る度に人間様に生まれたことを神仏に感謝するンだ。

孝助   奴らを見てると……餓鬼道を彷徨っていた頃の手前の姿を思い出し
     やすよ。

新兵衛  今更、我が身を嘆いてどうなるものか……どうせ不信心だろうが冥
     土の土産に聞いときな……仏の世界じゃ地獄、餓鬼、畜生、修羅の
     堕落世界と人間界、天上世界の六道魔界を経巡り生まれ変わると言
     われる輪廻転生の世界があるンだ……心がけの悪い奴は来世じゃ四
     ツ足に生まれ生き地獄の苦しみを味わいながら前世の償いをさせられ
     るそうだ……。

孝助   (手を合わせ)ヘッ!お地蔵様!どうぞ、そんな苦しみは与えねえで
     下せえ!剣呑剣呑!

新兵衛  何を言いやがる……流人でも人間様の誇りは持って貰いてえもンだな
     ……俺ァ昔から負け犬根性は大嫌えなンだ!

孝助   旦那の仰る通りだ……アシらは男を立て凌ぎはキチッとやり親分さん
     の御機嫌を伺い下ッ端連中には目を光らせるのが兄貴分としての度量
     の見せどころ……でもって親分さんの為なら五尺の身体を張って命を投
     げ出す覚悟なンで……。

新兵衛  親分の為に一つしかない手前の命を掛けるなんザ罰当たりなこった。

孝助   功を焦った若え衆が二本差しに仕掛けて命より大事な二の腕を斬り
     落とされたこともママあることで……。

新兵衛  自堕落な悪事をやらかした奴には同情も救いもねえ……閻魔様の
     お裁き受けて未来永劫……地獄落ちだな。

孝助   ヘッヘ……鯉の吹き流しみてえなもんで……。




          ………………   ………………

          

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♯30 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]

孝助   ……。

新兵衛  で……後に残った妹さんの始末はどうつける気だい。

孝助   ですから……だからね……おみよの事はさっきから何度も新兵衛旦那
     にお願いしてるワケでして……。

新兵衛  オイオイ……またかよ……他にも手だてはあるだろうがよ。

孝助   旦那!

新兵衛  あのなァ……さっきも言ったろうが……俺にゃ俺の身の振り方があン
     だぜ……それによ……二度も島流しになった極道に年の離れた可愛い
     妹がいるから後は宜しくと頼まれたって……ああ、そうですかと承知す
     る奴が何処にいるッてンだよ……。

孝助   旦那!新兵衛の旦那は……旨え御神酒と全財産の十両と朱金二枚
     を手にしながら今更、オトボケかますンですかい!

新兵衛  ヘッヘ……かァかァ烏の権兵衛様だ……お前が島へ行っちまえばこ
     の十両は全部俺様の懐へ入る仕掛けよ……。

孝助   えッ?そ、そンな!クソッ!土壇場で小役人に騙されるとは……観音
     ノ孝助もヤキが廻ったもンだ!クソッ!

           酒をカブ飲みする、孝助

新兵衛  コラ!人を酒は呑むンじゃねえ!

           徳利を取りあげる、新兵衛

孝助   ……。

新兵衛  観音ノ孝助は人を見抜く力は足りねえ様だなァ。

孝助   旦那!こんなに正直で素直になった事ァ今までにねえことなンだぞ!
     妹のことはスッキリさせて島へお務めに行きてえンだよ!

新兵衛  ヘッ、年の離れた可愛い妹なんて洒落たこと言ってるが……実の妹
     かどうか判ったもンじゃねえやね……え、観音ノ孝助どんよ!

孝助   (立ち上がる)手前!おみよの事を悪く言いやがると!

新兵衛  ジタバタすると舟が引っ繰り返るぞ……いいかい……島送りで小狡
     い盗人のヨタ話を信じる役人が何処にいるッてンだ……酒や小判で騙
     されるほど甘か無えンだよ、この新兵衛様は!

孝助   ……。

           桜花が風に舞う

新兵衛  ……。
孝助   ……。

新兵衛  そろそろ一石橋か。

孝助   ……。

新兵衛  この辺りは金座銀座の蔵屋敷町で両替屋のたまり場だ……ホレ、
     見てみな……川筋には小役人や用心棒らが番小屋に詰めてやがン
     だろ……。

孝助   ……。





               ………………   ………………


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♯29 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]


孝助   へえ……初めは大島で……浦賀辺りから半島沿いに南下しやした
     ……島には二、三百の島民が住んでいやして……流人は100人ぐ
     らい……島民と仲良くするのが流人の生きる道なんで……何とか。

新兵衛  そうだったのかい……俺ァまだ一度も行ったことはねえが……伊豆
     辺りの話でも聞かせてくれねえかい。

孝助   へえ……かれこれ十五年の務めで運良く御赦免になった奴から
    聞いた話ですが……八丈島品川沖から凡そ八十海里もあり…
    三宅と八丈の間にゃ漁師達が黒瀬川と呼ぶ魚の宝庫の激流が流れ
    ていて……船は揺れるわ流されるわで黒潮激流を渡るのに五日は
    掛かるそうなンで……。

新兵衛  ほほう……戦国の世から流刑地だと聞いちゃいたが……。

孝助   へえ……八丈には東西に二つの山があって……間に瓢箪形の
    入江の東ノ浜、西ノ浜とあり……村は大賀郷、樫立、三根、中之郷
    に末吉に別れ……住民の数は男が三千、女が四千と女の方が多
    いそうで……島の中心の大賀郷村にゃ二千七百坪の立派な代官
    所があり……各村には、名主、世話役、山見廻り役に、山守り、水
    守り、浜役、五人組頭の仕組みで一番下が流人の纏め役の流人頭
    ……流人達二百人は五ッの村に割り振られやした……。

新兵衛  島じゃ何処に寝泊まりしてたンだい。

孝助   へえ……初めは流人小屋とは名ばかりの廃屋で寝起きして……
    島の暮らしに慣れると手前でこさえた掘っ建て小屋で暮らしやした…。

新兵衛  流人の務めは自給自足で……島民達の漁や農作の手伝いで
     メシにありつけると聞いたが……。

孝助   へえ……お天道様と島民達に感謝してメシを頂いたものでした…。

新兵衛  で……腹がクチくなると募るは里心ばかりなりか……。

孝助   ヘッヘ……ですが、島一番の高台立つと遙かな群島が散らばり
    見渡す限り荒海の大海原……島抜けなんてとンでもありやせンよ。

新兵衛  悪事浮世を離れて真人間に戻るにゃ持ってこいの孤島だな。

孝助   ところが……眩しい南国の太陽に照らされて咲き乱れる花……
     抜けるような青空や紺碧の大海原に囲まれて田畑じゃ甘薯栽培
     に旨え地下水が溢れ……日焼けした女衆が頭に水桶を乗せて水
     汲みに来るンでやンす……これがなかなかの見物……ヘッヘ、
     流刑地は女人天国……仲間ン中にゃ御赦免になっても島の漁師
     や百姓になって島の女と暮らす奴も出る始末で……。

新兵衛  話にゃ聞いていたが……佐渡金山銀山の水替え人夫の過酷な
     苦役でくたばるのに比べりゃ天国と地獄だな……。

          水鳥の鳴き声

孝助   ……今度の行き先は……やっぱり遠い島なンでしょうねえ。

新兵衛  行き先は番所頭向井様に聞きな……二度目だと長えお務めだ
     ……どうでも今度ばかりはお陀仏かもな……観音ノ孝助どん。

孝助   ヘッ……覚悟は出来ておりやす! 

          棹を差す、新兵衛

新兵衛  ……。





          ………………   ………………


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♯28 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]


新兵衛  十両盗めば首が飛ぶ御時世によくもまァ隠し持ったもンだな……
     今度は誰の入れ知恵だァ!

孝助   へえ……アシの送りは新兵衛旦那だと牢屋下男の安蔵に聞きやして…。

新兵衛  チッ、お喋りのメッカチ安め!

孝助   へえ……新兵衛旦那は仕事は人一倍真面目だが大の酒好きで……
     身の上相談にものってくれる心の広いお方だと聞きやして、へえ!

新兵衛  メッカチ安はチッと知恵が足りねえ故に悪事の手先に巻き込まれた奴
     だったが……根は底抜けに人の良いのが取り柄で牢屋下男に取り上げ
     たンだよ。

孝助   へえ……安蔵に妹のおみよの話をすると新兵衛旦那は絶対面倒見て
     くれると太鼓判を押してくれやして……ヘッヘ……糸切りは髷に……。

          小判や朱金を取り出し新兵衛の前に差し出す

新兵衛  !

孝助   十両と二朱金二枚!これを妹のおみよに渡して貰いてえンで!この
     通りだ、新兵衛の旦那!

           舟板に頭をつける、孝助

新兵衛  おいおい……だから、さっきから言ってンだろうが……俺ァ明日から
     浦安辺りで魚でも釣りながら老後の暮らしをジックリ考えようと思って
     ンだ……この先人様の面倒をみる余裕なンぞねえンだよ。

孝助   (頭を下げる)そこを何とか!今生の頼みだ!労役と牢内バクチのあ
     がりでコツコツ貯めた十両を妹のおみよに渡して下せえ!どうかお頼
     み申しやす!

新兵衛  手前のケツも拭けねえ野郎の面倒なンかみれッかよ!

孝助   旦那!今まで生きてこれたお礼だと川竹の女将や妹のおみよのお陰
     だと伝えて貰いてえンで!

新兵衛  ヤクザな兄貴を持ちながら健気に働く妹さんにゃ頭が下がるが……
     生憎だったな、観音ノ孝助よ。

孝助   旦那!そこを何とかお願い致しやすよ!

           平身低頭の孝助

新兵衛  ……。

            走る舟

新兵衛  ……。

孝助   ……。

             お囃子の音

新兵衛  イイ音色だな……。

孝助   へえ……旦那の見事な櫓裁きに揺られていやすと……島送りの我が
     身が現実じゃ無えような気がして……心が空っぽになったと言うか……
     迷いが消えたような気がしていやす……。

新兵衛  そうかい……どうやら腹が座ったようだな……伊豆群島は大島、利島、
     新島、式根、神津、三宅、御蔵、八丈とあるが……近頃、流行りの流刑
     地は、新島、三宅、八丈で決まりだ……江戸から近過ぎたり農産物が少
     ねえ島は流刑地台帳から外されたンでな…。





               ………………   ………………


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♯27 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]

孝助  旦那!

新兵衛  さァて!御用はサッサと終わりにして……御神酒をゆっくりと頂くと
     するか!

         手に唾にして棹を差す、新兵衛

         走る、流人舟

新兵衛  ……。
孝助   ……。

新兵衛  一つ聞きてえが……お前さんは所帯を持ったことはあンのかい。

孝助   ヘッヘ……アシも男でやンす……囲った女の一人や二人はいやしたが
     白浪野郎の遊びと暮らしは別物モノで、へえ。

新兵衛  チッ、その年になるまで糸切れタコじゃマトモに所帯なンて持てるワケ
     ゃねえやな……どうせ女の一人や二人は売り飛ばしたクチだろうぜ。

孝助   ヘッヘ……流石に旦那は何かも見通しで!

新兵衛  オイ!お前……まさか……妹さんを売り飛ばしたンじゃあンめえな!

孝助   何だと!いくら旦那でも承知しねえぜ!悪事ばかりのアシだが……
     実の妹を売り飛ばすような畜生の真似だきゃしちゃいませンよ!

新兵衛  あ~ァ!手前のヨタ話を聞くと胸糞が悪くなるぜ……こんな悪党に
     心を許した己に反吐が出る!ペッ!

           ツバを吐く、新兵衛

孝助   (首を竦める)泥田ンボ育ちのボウフラはキラキラ輝く水陽炎に憧れ
     るもンで……旦那のようなお役人様にゃ判っちゃ貰えねえでしょうが。

新兵衛  ンな安っぽい屁理屈は新兵衛様にゃ通用するかよ……いい加減に
     観念して黙ってろい!

孝助   ……すンません。

           棹を差す、新兵衛

新兵衛  ……。

孝助   新兵衛旦那!御無礼はお許し願いやして……人生の達人先生様に
     今生の願いがありやすンで!

新兵衛  (睨む)!

孝助   後に残した妹のおみよに餞別を渡してえンで!

新兵衛  (棹を流しながら)今度は餞別だァ!ハハーン!二度目の島流しで
     終生戻れねえことを覚悟して隠し持った千両箱でも思い出したのかよ!

孝助   冗談キツイぜ、旦那……千両箱は大泥棒の鼠小僧に任せやして…
     アシは小銭を掻き集めるコソ泥でサ。

新兵衛  全く……とんだ野郎と道行だぜ、今夜は!

         手拭いを川で洗う、新兵衛

孝助   旦那!実は此処に十両……あるンで!

新兵衛  何!十両!

孝助   ヘッヘ……襟と袖口と腹巻きに二枚づつ……裾に四枚……草履の
     鼻緒に朱金が二枚……これがアシの全財産なンで……へえ!




        ………………   ………………


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#26 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]

孝助   苦労を懸けたおみよも今は三十になったのかな……? 

新兵衛  ヘッ、不義理ばかりして妹さんの年も判らねえのかよ……その年じゃ
     所帯でも持ってガキの一人や二人いるだろうぜ……。

孝助   それが実は……所帯も持たずに昔から世話になってる吉原羅生門河岸
     の居酒屋川竹でメシ炊き女をやってるンで……。

新兵衛  ふ-ん……島送りになったヤクザな兄貴に年の離れた働き者の妹さん
     が可愛いと思う心があったとはな……。

孝助   面目ありやせん!家を捨てた後……おみよの手を引いて浅草界隈を
     ウロウロしている頃に……おみよの奴は居酒屋川竹の女将さんに拾
     われて奉公人になりやした……アシが辰三親分に世話になった頃は
     兄妹二人で山谷堀の裏長屋で暮らしていたンですが……人生楽あり
     ゃ苦あり……おみよに岡惚れした女衒野郎のチクリでアシは隠れ同
     心に捕まり裏伊豆へ送られやした……へえ!

新兵衛  何だと!手前は二度目か!当たりも当たり大当たりの観音富籤だ!

孝助   ヘッ、面目ありやせん!

新兵衛  やれやれ……呆れ果てたる白波権三!ええい!

          急ぎ漕ぎする、新兵衛

孝助   ダ、旦那!揺れが!舟の揺れが……!

新兵衛  ……。

孝助   か、勘弁してくれ!新兵衛旦那ァ!

新兵衛  !

孝助   旦那の御機嫌を悪くしたンなら謝りやす!

新兵衛  !

孝助   話の続きを聞いて下せえよ!新兵衛の旦那!初めての島務めも
     なんだかんだで五年で戻ってみると……おみよの奴は根岸の女郎
     屋に売られていたンでやすよ……コンチクショウ!とアシは昔馴染
     みの仲間とおみよの奴を連れ戻しやした……あン時はおみよに心
     から申し訳ねえと謝りやしたよ……。

新兵衛  ソレで事を済ましたお前は全く勝手な奴だな。

孝助   そりゃねえですよ、旦那!

新兵衛  何を抜かしやがる……妹さんに不義理を詫びて心を入れ換えて
     りゃとっくの昔に堅気になれた筈だ……二度も島送りになるとは呆
     れてモノが言えねえよ!

孝助   ……。

新兵衛  働き者の妹さんが……さぞかし肩身の狭い思いで生きてきたかとを
     思うと……新兵衛さんの胸が痛むンだよ!

孝助   旦那!

新兵衛  もっとも……恥知らずな厄介者が島へ行っちまえば妹さんや居酒屋の
     女将さんも清々することだろうがな。

孝助   旦那の仰る通りこの身はどうなろうと構わねえが……只ひとつの心残り
     は後に残した妹のおみよのことなンで!

新兵衛  ……。




         ………………   ………………


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♯25 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]


孝助   ……。

新兵衛  俺ァ……長え間、囚人や流人衆の人生模様を見聞きしたお陰で……
     誰よりも人生の達人になれたと秘かに自惚れてンだよ、ヘッヘ。

         酒を一口呑む、新兵衛

新兵衛  ……。

孝助   へえ……そりゃ旦那のお人柄で……。

新兵衛  嬶のお崎がくたばって二十年……組屋敷のオンボロ長屋で寝起きもメシも
     酒も一人ッきりの侘暮らしを乗り越えて今日まで生きてこれたのは……脇目
     も振らず罪人達の世話役としてその日その日を気忙しく送ってきたお陰だ…
     正直言って……今となっちゃ囚人や罪人達に感謝するのみだよ。

孝助   ……。

            風の音、走る

新兵衛  そんなこんなの泣き笑いのお役目も今夜でお終えだ……明日からのこと
     は浦安辺りで好きな釣りでもやりながら考えることにするサね。

孝助   ……。

新兵衛  さァて!もう一漕ぎするか!

           棹を差す、新兵衛

孝助   ……。

           座り直す、孝助

孝助   (土下座)新兵衛の旦那!お願えがありやす!イチゴの取り持つ縁と
     やらに免じてアシの話を聞いて下せえ!

新兵衛  おいおい……一期一会の杯はもう終いにしようや……。

孝助   旦那!旦那の話だとアシは十年は戻れねえンですぜ……島暮しのアシ
     の身に何かあったらどうするンですかい!

新兵衛  フッ……お前さんがどんな島暮らしを送ろうが俺にゃ関係ねえ話だぜ。

孝助   旦那!そりゃねえよ!アシが堅気になって戻ったら桜見物でもやろうと
     仰ってくれたじゃねえですかい!

新兵衛  フッ、そりゃ話のアヤってもンだろうが……第一、お前さんは十年で
     戻る気でいるようだが土台無理な話だ……それによ……この新兵衛
     さんがアト十年は生きる保障を誰がしてくれるというンだい……。

孝助   はァ?言葉のアヤだ十年先生きる保障をしろだと……何を仰るウサギ
     さんだ……アシはたった今、観音さんと新兵衛旦那に誓って立派な堅気
     になって戻って来ると決心したンですぜ!

新兵衛  お前さんが堅気になろうがなるまいが知ったこッちゃねえやね……ンな
     人のことより明日から始まる第二の人生のことで頭は一杯なンだよ……。

孝助   じゃ!後に残した年の離れた可愛い妹はどうなるンてンですかい!

新兵衛  何ンだと……今度は妹さんの話かい?

孝助   へえ!妹の名はおみよといいやす!

新兵衛  おみよ……さんか。




       ………………   ………………


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#24 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]


新兵衛  ホレ、みたことか……ンな場当たり的な考えだから人様からクスめた
     銭で贅沢三昧の遊びをやらかしたンだ……いいか……世間で真面目
     に働いている堅気の衆は手前の人生を全うする為に現実に足をつけ
     てシッカリと生きてンだ……お前さんも今度こそ心を入れ換え堅気に
     なって戻って来るンだな。


孝助   ……。


           遠く、お囃子の音


新兵衛  いつの日かよ……お前さんがマットウな堅気の衆になって戻って来
     たら二人で両国花火や桜見物とシャレようじゃねえか、孝助どんよ。


孝助   ヘッヘ……嬉しいこと言ってくれるなァ!新兵衛旦那!


新兵衛  そうそう……信玄袋に何ンかあったな。

          信玄袋から煮干しを取り出す、新兵衛

新兵衛  ホレ、佃名物の煮干しだ。


孝助   ヘッヘ……冥土の土産に頂きやすか。


新兵衛  ……。


          煮干しを齧る、二人

          徳利に口をつける、新兵衛


新兵衛  うんうん……ホレ、一口どうだい。

           徳利を渡す

孝助   へえ……ありがてえ!


          川岸の明かりが流れる


新兵衛  お前さんも俺も……河岸の明かりは今夜が見納めだな。


孝助   ……。


新兵衛  人間は土壇場になると思いを巡らすと言うが……今夜は特に牢役人
     を務めた三十年が走馬灯のように思い出されるぜ……若え時分に仕
     事を覚える為になりふり構わず牢内を走り回っていた見廻役の頃は…
     牢内の罪人同志の喧嘩や刀傷沙汰でくたばった仏様を何体も運び出
     したものだ……流人舟の船頭になりたての頃は無茶をやったもンだ…
     浮気亭主に刃傷沙汰を起こし流人となった娘に一目会わせてくれと母
     親に泣きつかれ……品川沖まで流人廻船を追いかけ声を限りに母親
     と一緒に流人娘の名前を叫んだ事も……江戸へ出で真面目に働いて
     いた大工が惚れた女郎に振られてヤケ博打の借金まみれで無宿者に
     なり果て……生まれ故郷の伊豆へ流されたメデタイ奴もいたり……い
     やいやキリがねえよ……。


孝助   ……。




        ………………   ………………

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#23 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]


孝助   へえ……だけどなァ……こうして舟の上で一杯やってるとどうしても
     辰三親分と子分衆で深川芸者を引き連れてワイノワイノと貸切五両の
     屋形舟で花火見物やお座敷遊びが思い出されやすよ、ヘッヘ!


新兵衛  お前の酒癖は甘ッたれのグチリ屋か!


孝助   いえ……旦那!酒が入ったから言うンじゃねえが……折角、出会った
     旦那との今生の別れに……今まで何処の誰にも話さなかったアシの心
     境というか未練というか……胸の内を聞いて貰いてえンで……!


新兵衛  ほほう……話してみなよ。

          舟を進める、新兵衛


孝助   じゃ……チョイとばかりお耳汚しを……とは言うもののモノの始まりは
     何ンと言っても……やっぱり浅草の辰三親分の元で人様からクスねた
     銭で贅沢三昧の暮らしを送ってた頃でやンすかねえ!

  
新兵衛  まだそンなこと言ってンのか!悪さついでにイイ思いをしたツケが廻り
     島送りとなっちゃ無様な始末だな……これじゃ閻魔さんも腹を抱えて大
     笑いだろうぜ……えッ、観音ノ孝助どんよ。


孝助   !

         徳利に口をつける、孝助


孝助   ンぐ……ンぐ!


新兵衛  コラ!俺の酒を呑むンじゃねえや!

          徳利を取る、新兵衛

孝助   (口を拭い)ヘッヘ……牢内の連中が言った通りだ……新兵衛旦那は
     酒席でも生真面目で厳しいお人だぜ!


新兵衛  判った風なこと抜かすンじゃねえや。
  
          徳利に口をつける、新兵衛


孝助   ……。


新兵衛  今夜は特別だから何を言っても構わねえが……お前は流人で俺は
      牢役人なンだぞ!それを忘れンじゃねえや!このスットコドッコイ!


孝助   へ、へえ!



新兵衛  一杯機嫌のヨタ話はよしにして……番所に着くまでに堅気になる算段
     でも考えるこッたな。


孝助   ヘッヘ……ンなことたァ島に着いてからゆっくりと考りゃイイこッて……。





                ………………   ………………


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#22 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]


孝助    ナ-ニ!しぐれ夜風に吹かれりゃ番所に着く頃にゃ酔いも飛びまさァ!
      それにしても……新兵衛旦那は大の酒好きだが生真面目過ぎて融通が
      利かねえのが厄介だと牢名主権太郎様が仰っていやしたが……ヘッヘ、
      聞いて見て正しくその通りでやンすね……。


新兵衛   チッ、利いた風な口をきくンじゃねえ!呑兵ヱだからこそお役目は人
      一倍真面目に果たしてきたンだ……牢内の連中を到れれり尽くせり面
      倒見てきたのは新兵衛さんぐらいなもンだ……。


孝助    (改まって)へえ!いろいろお世話になりやした!それと長え間のお
      役目も御苦労様でした!改めて月見酒とシャレやしょうか、新兵衛旦那!


新兵衛   やれやれ……新兵衛舟の最後の船出を祝ってくれたのが罪人達だとは
      皮肉なもンだぜ……だがよ、この年まで感謝の礼なンざ貰ったことはねえ
      俺としちゃは喜ばしいことかも知れねえな……。


孝助    ♪~酒に火照る身体と心を癒す~♪大川の夜風~♪


新兵衛   こンな事は一生に一度で今夜が最後の最後だろうぜ……お前さんとも
            一期一会の別れ酒だ……神仏の思し召しと思って御神酒を頂くか。


孝助    有り難え!さ、グーッと!


新兵衛   ……。
           徳利に口をつける、新兵衛

新兵衛   (呑む)旨え!ウム?この味ァ……奉行所の祝事で頂いた都鳥だな!


孝助    流石は旦那だ!隅田の銘酒都鳥でさァ!


新兵衛   フッフ……俺の舌もまだまだ鈍っちゃいねえな。


孝助    ヘッヘ……旦那!アシにも一口!


新兵衛   どうにも仕様のねえ野郎だな……今生の別れ酒だ……チッとにしろよ。

           酒を渡す、新兵衛

孝助    へえ!ありがてえ!(呑む)ンぐンぐ!旨え!生き返えったぜ、旦那!


新兵衛   よこせ!
            徳利を取り上げる、新兵衛

新兵衛   オイ!観音の孝助よ!お前さんもイイ年だ……島へ行ったら昔の悪い
            夢は早く忘れてイチから出直すンだな!


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#21 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]


新兵衛  (徳利の匂いを嗅ぎ)オイ!こんなイイ酒を何処から仕入れたンだ?


孝助   ヘッヘ……この酒は牢名主様と牢内一同からの旦那への御餞別でやンす!


新兵衛  ナニ?牢名主葛飾無宿権太郎の餞別かよ!


孝助   御名答!


新兵衛  チッ、牢内の奴らが隠れて呑むのはドブロクが決まりだ……牢役人よりイイ酒
     を呑むとはどういう事ッた!


孝助   ♪浮世の風は柳に流し~♪牢内の三途の川も銭次第~♪ヘッヘ、野暮は言い
            ッこなしだ……牢内一同の気持ちを酌ンで飲ンで下せえよ、新兵衛旦那!


新兵衛  バカを言うな!番所で酒の匂いでもさせてみろ厳罰を食らうのは俺だ!とは言
     うものの……今夜が仕事終いのお役目御免の新兵衛舟か……。


孝助   ですから……新兵衛旦那の最後の船出の祝酒にお届けしたンでやンすよ!今
           夜だけは誰にも遠慮はいらねえでしょうよ……さァ、グイッとやって下せえ!


新兵衛  ウ-ム!

                      腕組する、新兵衛


孝助   何をお考えで?新兵衛の旦那!


新兵衛  ウム……。


孝助   ヘッヘ……旦那、お呑みになっても結構でやンすが……櫓漕ぎはチャンとやって
          貰わねえとアシの行き場が無くなりやすからね……一つ宜しく願いやすよ!


新兵衛  だったら最後の最後に新兵衛さんを悩ませるような真似をするンじゃねえや……
           本当の酒好きがどういうもンか判ってンのかよ!


孝助   ヘッヘ……そりゃもう新兵衛旦那の酒好きは御牢内じゃ有名でやンしたからね!


新兵衛  チッ、この世にゃ酒好きはゴマンといらァ……今だから喋れるが牢内の連中
     だって時にゃノドを潤わせたいだろうと思ってよ……上には内緒で権太郎の奴
     に何度かドブロクを差し入れしてやったこともあったサ……クソッ!鼻ッ面に人
     参ブラ下げるような真似しやがってシャレにもなンねえぞ!





               ………………   ………………


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#20 [文庫1☆江戸噺 「流人舟」]


新兵衛   誰なンでえ!手前に入れ知恵した奴ァ!

孝助    誰って?

新兵衛   俺を恨んでる奴にでも頼まれたのかよ!

孝助    あのう……旦那は誰かに恨みをかうような事でも?

新兵衛   ざけンな!この新兵衛様は恨みをかうような事は爪の垢ほどもやっちゃ
             いねえよ!

孝助    へえ……旦那を恨む奴がいたらアシがとっちめてやりやすよ!

新兵衛   チッ、イイ気な野郎だ……お前みてえ奴はサッサと何処かの島へでも
             行きやがれてンだ!

孝助    へえ……旦那の仰る通りアシは明日から島でのお務めですからね……
             旦那の最後の船出の祝酒を是非、呑ンで下せえ!お願いしやすよ!

新兵衛   流人の身でナニをホザきやがる……この半端者が!

孝助    ほらほら……旦那はホンに気が短えなァ。

新兵衛   チッ、流人に分別つけられちゃ面目丸潰れだぜ!どうでも始末つけて
              やろうか!この野郎!

孝助    どうぞご勘弁を!新兵衛の旦那!

新兵衛   ……さてさて。

孝助    願いついでに……旦那の好きな酒に免じて……この縄を解いて貰えねえ
             ですかねえ!

新兵衛   ふざけるのもいい加減しろい!

孝助    あ~あ!命がけで御神酒をお届けしたのにアシの願いを聞いても貰えね
      えンですかい!旦那!お願いしやすよ!

新兵衛   クソッ!いいか!手前とは今生の別れの一期一会だ……御神酒に免じて
      ……いや、お前を信じて……いいか!逃げンじゃねえぞ!ッたくよ!世話の
      やける奴を最後の客にしたもンだぜ!

            孝助の掛け縄を解く、新兵衛  

孝助    有り難てえ!あァ!楽になった!

             身体をほぐす、孝助

新兵衛   おいおい……あンまり派手にやるなよ、流人さんよ。

孝助    へえ!

          辺りを見回す、新兵衛
新兵衛   !

孝助    旦那……何をキョロキョロ?

新兵衛   だからよ……今夜は俺の最後のお役目でお前は最後の流人だ……それを
             忘れちゃ元も子もねえだろうがよ!

孝助    へえ、ご尤もで……。


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